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浄土真宗本願寺派
清涼山 覚永寺 【Seiryozan Kakueiji】
覚永寺について
横浜市青葉区の自然調整区域にある浄土真宗本願寺派の寺、覚永寺。緑豊かな寺の境内や墓地には、桜や紫陽花が植えられており、四季折々の様々な景観を楽しむ事ができます。覚永寺は参拝に来られた方にとって、忙しい日常から少し離れ、心が穏やかになるような・・そんなホッとできるお寺を目指しております。最寄りのたまプラーザ駅、あざみ野駅周辺とはまた違った雰囲気を是非味わいにお越し下さい。
覚永寺の歴史
覚永寺が現在の地に移ってきたのは昭和42年であり、もともとは東京都港区赤坂7丁目、ちょうどTBSの裏にありました。覚永寺創建の歴史は、文禄3年(1594)に、釋専念が武州赤坂一ツ木村に建立したことから始まったと記録にあります。釋専念は俗名を井伊兵庫直重といい、武士でありました。織田信長と本願寺の戦いである石山合戦に、はるばる大阪まで出向いて、本願寺に味方し、戦後、本願寺門主より専念の法名と寺を開く許しを得たそうです。帰国の後、庵室に安置してあった阿弥陀如来を本尊に、覚永寺を建立。その後、寛永12年(1635)に江戸城の堀の拡張工事のため赤坂7丁目に移転しました。
今に至る400年以上の歴史の中、明暦の大火でも焼けず、安政の大地震、関東大地震も被災せずくぐり抜けてきましたが、昭和20年の空襲で、本堂や庫裏、古文書などのほとんどが焼失。しかし、本尊の阿弥陀如来と蓮如上人絵像、聖徳太子絵像、七高僧絵像だけは焼失を免れ、今も尚、現在の本堂に安置されています。
覚永寺の御本山
本願寺(西) http://www.hongwanji.or.jp/
築地本願寺 http://tsukijihongwanji.jp/
焼失を逃れた
阿弥陀如来立像
七高僧絵像
聖徳太子絵像
蓮如上人絵像
阿弥陀如来立像
像高 69・0
木造 玉眼 漆箔
江戸時代
蓮如上人像
縦 96・5 横 39・0
絹本著色 掛幅装
江戸時代 〔寛政9年(1796)〕
画讃・画面右端墨署銘・表背墨書銘
左 七高僧像
縦 96.4
横 45.1
絹本著色 掛幅装
江戸時代後期
表背墨書銘
右 聖徳太子孝養像
縦 101.3
横 45.1
絹本著色 掛幅装
江戸時代後期
横浜の文化財 −横浜文化財総合調査概報(十七)− 平成十七年三月 横浜市教育委員会
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